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2010/8/28
東京都中央区
聖路加国際病院
映画「風のかたち」上映予定
映画「風のかたち」上映予定
「こどもは、死んじゃあいけない人たちだよね・・・」
小児がんはもう不治の病ではありません。
10 年の歳月が、命の尊さ、生きる意味をやわらかに問いかける。
「風のかたち」はどんなかたち?
「再生」 伊勢真一(監督)
10 年前の夏、私は小児がんと闘う仲間達の一群と三浦海岸で出逢いました。
細谷亮太医師(小児科・聖路加国際病院副院長)をリーダーとする、SMS サマーキャンプに撮影スタッフと共に参加したからです。
そこには、病気を克服し、社会の小児がんに対する偏見や差別を跳ね返そうともがく子ども達がいました。
小児がんはもう、不治の病ではありません。
現在、全国におよそ2 万5 千人いると言われる小児がん患者の10 人のうち、8 人までもが治っているのです。確かに、一時代前まで、死に至る病として恐れられていたのですが、医学の進歩は、20 世紀後半から、小児がんを“治る病気”に変えたのです。
恥ずかしいことに、私がそうした事実を知ったのも、キャンプに参加してからです。
以来10 年、私は毎年のキャンプにカメラと共に参加し、小児がんと闘う仲間たちに寄り添うように、彼らの悩みや夢の肉声に耳を澄ませ続けてきました。そして、毎年のキャンプの記録を年に一度、キャンプの参加者だけに観てもらう映画制作を繰りかえしてきました。
「10 年間、記録を続けてみよう・・・
劇的に変化し続ける小児がん治療の只中で、子ども達の心の側に立って映像を記録することは、大きな意味があると思う」
細谷医師をはじめとするSMSキャンプスタッフと私の考えは一致していました。
そして10 年。
10 年間の記録は、子ども達の蘇る命の力を見届け、成長を見守る「再生」の物語
となりました。
「命を救ってもらったお返しのつもりで私は、困ってる人や弱い人を助ける仕事をしたい・・・」
と夢を語っていた少女は看護師になり、
「子どもが欲しい・・・」
と切実に吐露していた骨髄移植体験者が無事、母親になる姿を記録することが出来ました。
「学校の先生になり、小児がんや難病のことを子どもたちに知って欲しい・・・」
という願いを胸に他界してしまった仲間もいます。
家族や仲間たちの心の中に、その子の想いは生き続けていることも記録しました。
カメラは子どもたちだけでなく、医療の現場で、ずっと子ども達を見守り続けてきた細谷亮太医師の10 年間をも記録しました。
小児がんの子ども達をサポートする前線で自分自身にも語りかけるように、「大丈夫。」とつぶやく命へのやわらかな、しかし強い眼差し。
「子どもは死んじゃいけない人たちだからね」
カメラに語りかけたこの言葉こそが、この10 年の記録、この映画の立ち位置です。
10 年間の歳月が語りかける、小児がんと闘う仲間達の生きる力・・・
それは不断に蘇る命そのものの力ではないでしょうか。
定点撮影のようにキャンプに通い、時間をかけて、ひとりひとりの命を見続けることで見えてきた「再生」という希望。
小児がん患者や体験者を、悲劇の主人公ではなく、「再生」のシンボルとして描いたこの物語は、ただ難病を扱ったドキュメンタリーという枠にとどまらず、命の尊さ、生きる意味を問いかけ、心が病んだ時代としばしば言われる私達の社会に、希望をメッセージするに違いありません。
偶然のように始まった撮影ですが、今、この作品は私にとって、社会にとって、必然であると確信します。
演出 伊勢真一(いせしんいち)
1949 年東京生まれ。
「奈緒ちゃん」「ありがとう」「朋あり。」「ゆめみたか」をはじめ、多くのヒューマンドキュメンタリーを製作。
近年は若手の作品プロデュースも積極的に手がけている。日常をふんわりと映し出す映像の中に、生きることの素晴らしさが込められた独特の作風で知られる。
「風のかたち」2009年作品 105分 スタッフ
監修 細谷亮太 月本一郎 石本浩市
協力 聖路加国際病院 東邦大学医学部付属大森病院
あけぼの小児クリニック
毎日新聞社 財団法人がんの子どもを守る会
制作協力 本橋由紀 渡辺輝子 中島晶子
近藤博子 樋口明子 稲塚彩子
キャンプに参加した子どもたち・ボランティア
撮影 石倉隆二 内藤雅行 田辺司 世良隆浩 東志津
照明 箕輪栄一
音楽 横内丙午
歌 苫米地サトロ
録音 米山靖 渡辺丈彦 井上久美子
助監督 助川満
絵 伊勢英子
題字 細谷亮太
製作 いせFILM
演出 伊勢真一
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